鳥取市の歴史的遺産と迫る危機

 

鳥取市に残る歴史的遺産とその活用

鳥取市内には、文化財として評価すべきものは無いとしばしば言われる。しかし、市の中心部に限ってみても、仁風閣や樗谿(おうちだに)神社東照宮が国の重要文化財、観音院の庭園は国の名勝、久松山城址は国の史跡、興禅寺が市の名勝と、実は数多くの文化財や史跡がある。

 

さらに言えば、袋川から県庁にかけての地域は、実は江戸時代の町割りがほぼそのまま残っていて三十二万石の城下町の骨格を示しており、それ自体貴重な歴史遺産である。

 

こうした歴史的な遺産を活かすためにも、古い建物の少なくなったこの地域内の建造物を修復・再建などすることで、より城下町の姿を思い起こしやすくなるのではないだろうか。


 

大地震と大火の影響

鳥取市内には文化財が無いという誤解は、この市が被った天災による損害のイメージが大きいと思われる。

1943(昭和18)年の鳥取地震は、マグニチュード7.2の直下型大地震であった。これは1995(平成7)年の阪神・淡路大震災(マグニチュード7.3)とほぼ似た規模のものであり、地盤が悪いことも影響して甚大な被害を与えている。市の中心部は、50%強の建物が倒壊に至っている。

 

これに加えて鳥取の町と市民に大きな被害・損害を与えたのが、1952(昭和27)年の鳥取大火である。しかし、その被災地域は市域の全域ではなくその一部に過ぎない。殊に寺社と武家屋敷の多かった久松山の麓周辺はむしろほぼ無傷であった。

 

つまり、地震と火災で歴史的遺産が失われたということは事実であるが、それでも久松山の麓周辺に限っても、50%弱の建物は残ったことになる。旧岡崎邸、池内邸は共に1943年の鳥取地震に耐え、火災の被害にも遭わなかった建物であったが、他にもこのような建物が少なくなかったと思われる。

しかし、その後大きな天災に見舞われることがなかったにもかかわらず、旧岡崎邸や池内邸のような歴史的な建物が現在見られることがないのは、その後の遺産相続や用途変更(都市計画による道路拡幅など)によって失われたものが多いことを想起させる。天災以外にも、人為的な行為が歴史的な遺産を滅ぼす脅威になっているのだ。